今の自分があるのは
現在、何歳であったとしても
ここまで生きてこられたのは
自分の力ではない。
母のお腹の中で成長し
この地上に生まれ落ちてきた。
私なぞは、とても難産だったようできっとずっとお腹の中にいたかったのではないか。
地上に生まれ落ちたくなかったんだと思う。
往生際が悪いというか。
医者から母体か子供かどちらかをあきめてください、と言われた中で帝王切開で
地上に降り立った。
どちらも無事だった。
そこから、ミルクを飲ませてくれたり、
おむつを変えてくれたり、
泣けばやあやしてくれる人たちがいたから
今がある。
これは愛と言っていいのではないか。
愛を受けてきたから生きているのだと思う。
そうそう、「受」に心が入ると「愛」という文字になる。
愛とは、まずは受け取るものなのだ。
もしも、「私は誰からも愛されていない」という人がいるとしたら、それは傲慢以外の何ものでもない。なんだかんだあったとしても、こうして生きているではないか。
間違いなく愛を受けてきたのだよ。
人間は動物と違って、自分の力だけでは生き延びられないのだ。
この人生に文句を言いだしたらきりがない。
今この瞬間、ここで世界観を変えよう。
私は愛されている。
私は今、ここにいる。
世界はやさしい。
生きているだけで価値がある。
何かを成し遂げなくてもいいのだ。
やりたければやればいい。
無理はしなくていい。
ニコニコ笑っているだけで十分なのだ。
私の家庭はちょっと複雑だが、
それで悩んだことなど一度もない。
私は愛されてきた。
だからこうして生きている。
それ以上、何を求めるというのだ?
約2年前に他界した兄。
14歳も違うのは母が違うから。
そんなことは関係なく、私は兄を慕っていた。
海外にいたので長い年月、会うことはなかったが、そのまま海外で亡くなった。
最後は、奥さんの心遣いでビデオ通話を通して、最後の対面ができた。
ありがとう、頑張らなくていいよ。
楽に逝ってね。ありがとう、ありがとう。
その画面は光に満ち溢れていて天上界のようだった。
その瞬間、旅立った。
兄と私の関係性は、何だったのか?
それは自分が決めればいい。
今の自分には兄の影響も色濃く入っているのだけは事実。
レトロ〜。
何歳なのか不明…な兄と私。
感謝。感謝。感謝。
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